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「怪物に喰われた?」日本のエース(北京冬季オリンピックpart2)

この日の注目は、スピードスケート/女子1500メートルだ。

 

前回オリンピックでは「金2個」を取った姉と「金銀銅」をコンプリートした妹という高木姉妹が登場。さらに「21W1500メートルで3度表彰台」の佐藤選手という、もう一人の有力な選手がくわわる「最強布陣」だけに、金メダルはもちろんのこと複数のメダルも期待できる種目と言えた。

 

しかしながら、そう上手くはいかない。2日前の3000mでは、エースの高木(妹)が「まさかの6位」に終わり「世界の壁」の高さを改めてまざまざと思い知らされたばかり。この大会5種目のエントリーをしてはいるものの、その中でも「世界記録保持者」として「本命」と見られたのが、この種目。まさに「満を持して」臨んだレースと言えたが、やはり世界は広かった!

 

冬季オリンピックの選手の中では、圧倒的な天才肌を感じさせる高木(妹)をもってしても適わない相手。それは

 

過去オリンピック4大会で「金5,銀5,銅1」と、1人で11個ものメダルを獲得してきたバケモノ(?)

 

であった。

 

この怪物が、35歳という年齢を超越した会心の滑りを見せたから、最終組の高木(妹)に極限のプレッシャーがかかってしまったのも無理はない。今季、ワールドカップなどの主要な大会では目立った活躍はなかったらしいのにくわえ、年齢的にもすでにピークを越えたと思われたが、ここ一番で会心のレースを演じるところが、さすがバケモノたる所以なのだろう。

 

スピードスケートの魅力は、わかりやすい点にある。採点競技が多い冬季オリンピックの種目は「疑惑の判定」によってモヤモヤが残るケースが多い中、純粋に「速いものが勝つ」スピードを競う競技は、やはり観ていて爽快感がある。

 

惜しくも「銀」に終わったとはいえ、これでトータル4個目のメダルとなった高木(妹)、まだ3種目を残しているだけに、この悔しさをぶつけて好結果に繋げてくれるはずだ。

 

他の競技では「フィギュアスケート団体」という耳慣れない競技で「銅」。

こんな種目、いつできた?

金メダル第1号(北京冬季オリンピックpart1)

冬季オリンピックが開幕した。

 

「北京オリンピックって、なんか最近やったばかり(2008年)だと思ったが、またやるの?」

 

というのと、冬季オリンピックは前回がK国だったから

 

「なんでまた2大会続けて東アジアの、しかも日本にとっては最悪な国で・・・」

 

という思いは否めないものの、「オリンピックオタク」としては、そのような政治的なカケヒキは置いといて、やはり気になってしまうのである。

 

「北京オリンピックなど、選手もボイコットせよ!」

 

などと勇ましく吠えたてる「自称言論人」が居て、まあ気持ちはわからなくはないが

 

「スタートの号砲が鳴ったら、止めて帰ってこい!」

 

などという戯言は、ここにすべてを賭けて来たアスリートを冒涜する言動であり、厳に慎むべきである。

 

/5(土)

実質的な競技初日となったこの日。

さっそく「金メダル候補」の呼び声高かったスキージャンプ女子の高梨選手が登場。幸先よく行きたいところが、結果「金」はおろかメダルにも届かず。しかしながら、フリースタイルスキー/男子モーグルの堀島選手が銅メダルを獲得し、今大会のメダリスト第一号となった。

 

/6(日)

これまた「メダル候補」と評判が高かったのがスノーボード女子だ。似たような競技で、まだ記憶に新しい東京オリンピックでの「スケボー」の大活躍が記憶に鮮明なだけに、ついつい二匹目のドジョウを期待してしまったが、結果はメダルには届かず。

 

こうして前評判の高かった選手が次々と玉砕していく中、スキージャンプ/男子ノーマルヒルで小林選手が見事に金メダルをゲットした。

 

一方、フリースタイルスキー/女子モーグルで「金メダル候補」の呼び声高かった川村選手は5位で終戦。

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サルマタイ(ギリシア語:Sarmatai、ラテン語:Sarmatae、英語:Sarmatians)は、紀元前4世紀から紀元後4世紀にかけて、ウラル南部から黒海北岸にかけて活動したイラン系遊牧民集団。紀元前7世紀末からウラル南部にいたサウロマタイに、紀元前4世紀頃東方から移動してきた遊牧民が加わって形成されたとされる。サルマタイはギリシア語であり、ラテン語ではサルマタエとなる。また、彼らのいた黒海北岸地域をその名にちなんでサルマティアと呼ぶため、サルマティア人とも呼ばれる。

 

サウロマタイとサルマタイ

サルマタイの名が初めて登場するのは、紀元前4世紀のギリシアの著作である。それ以前はヘロドトスなどに記されたように、サウロマタイという名前のよく似た民族が登場していた。サウロマタイはサルマタイの直接の祖先とされ、考古学的にはドン川から西カザフスタンに至るまでの地域における、紀元前7世紀から紀元前4世紀の文化をサウロマタイ文化とし、それに続く文化をサルマタイ文化(紀元前4世紀 - 紀元前2世紀)としている。

 

ヘロドトスによると、サウロマタイはウラル川からヴォルガ川流域の草原地帯で遊牧を営んでいたが、ヒッポクラテスが記したように紀元前5世紀末になると、マイオティス湖(アゾフ海)周辺に移住していた。紀元前4世紀中葉になると、クニドスのエウドクソスはタナイス川(ドン川)に住むシュルマタイ(syrmatai)というサウロマタイ系の部族を記録し、カリュアンダのスキュラクスもタナイス川(ドン川)にシュルマタイの存在を記し、サウロマタイの一集団とした。しかし、フィリッポフカ古墳の発掘調査によると、紀元前5世紀末までにウラル川中流域でサルマタイの勢力が増大していたことが明らかとなる。

 

サルマタイのスキティア侵略

サルマタイのスキティア侵略については、様々な史料に断片的に記録されているが、ヘロドトス等に記されているスキタイほど詳細な史料が存在しない。しかしながら紀元前4世紀末には、サルマタイ諸部族がサウロマタイに代わってドン川に迫り、そのうちのシラケス族はボスポロス王国の権力闘争に深く関与して、クバン川流域を支配下に置いたという。

 

時にスキタイ(第二スキタイ国家)は、紀元前339年のアテアス(アタイアス)王の死後から弱体化し、紀元前3世紀にはドン川を越えて侵攻してきたサルマタイによって征服されてしまう。以降、この地域はスキタイのスキティアから、サルマタイのサルマティアと呼ばれるようになった。サルマタイは黒海北岸を征服すると、そこにあったギリシア植民市にも侵略し、自由民たちを捕虜にして売りさばいた。サルマタイから圧迫されたスキタイはクリミア半島に押し込まれ、第三スキタイ国家を形成した。その地域は小スキティアと呼ばれた。

 

ポントス・ボスポロス王国に従軍

ポントス・ボスポロス王のパルナケス(在位:紀元前63 - 紀元前47年)がローマと戦うことになったため、シラケス王のアベアコスは騎兵2万、アオルソイ王のスパディネスは20万、高地アオルソイ族はさらにそれ以上の騎兵を送って従軍させた。

 

アルメニア王国の地図

35年、パルティア王アルタバヌス2世(在位:10年頃 - 38年)の王位に不満を持ったパルティア貴族がローマ帝国に支援を求めた。ローマのティベリウス帝(在位:14 - 37年)は援軍を派遣するとともに、ティリダテス3世を新たなパルティア王に据え、前年にアルタバヌス2世が奪ったアルメニア王国を取り返した。この戦いでサルマタイは両方の側にかり出され、互いに争ってアルメニア奪還に貢献した。

 

ボスポロスとローマの戦い

ボスポロス王国のミトリダーテス(在位:41 - 45年)は、王位を弟のコチュスに奪われて以来、各地を彷徨っていたが、ボスポロス王国からローマの将軍ディーディウスとその精兵が撤退し、王国にはコチュス(在位:45 - 62年)とローマ騎士ユーリウス・アクィラの率いる少数の援軍しか残っていないことを知った。ミトリダーテスは、二人の指揮者を見くびって部族を煽動して離反を促し、軍勢を集めてダンダリカ族の王を放逐し、その王国を掌中に収めた。これを聞いたアクィラとコチュスは、自分らだけの手勢に自信が持てなかったため、アオルシー族の強力な支配者であったエウノーネスに使節を送り、同盟条約を結んだ。

出典 Wikipedia

神社と祭神 ~ 古事記と日本書紀の神々(7)

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神社

 以上のような神は、支配者である「皇室の神」です。ですから、その多くが崇拝を求められて「神社の祭神」となっているのですが、残念ながら一般の人々はどの神社にどの神が祭られているのかなど全く意に介さず、知ろうともしません。要するに「神」でありさえすればいいからです。つまり「」だけが問題なのであって「誰」であるとか「どんな職分」の神であるかは問題にされないのです。

 

 以下、有名神社について紹介しておきます。「神社」と総称してはいますが、神社には何々「神宮」と呼ばれたり、何々「大社」、あるいは「」とか「」とか呼ばれているものもあり複雑です。ここでは詳しい説明は割愛して、簡単な紹介にしておきます。

 

「伊勢神宮」(三重県)

 これは本来「別格」の神社で、ここだけはただの「神宮」と呼ばれるはずのものでした。つまり、本来「伊勢」という限定はいらないのであって、ここはすべての神社を代表しているということです。というのも、ここの主神は「天照大神」であり天皇家の祖先神であるからです。この神が「内宮」の主神ですが、外宮には食物神である「豊受けの大神」が祭られています。

 しかしその後、複数の神宮が作られたため「伊勢の神宮」と限定されてしまったというわけでした。今日では「神宮」というと、むしろ東京の「明治神宮」を意味してしまうことが多いようです。

 

「熱田神宮」(愛知県)

 ここは三種の神器の一つである「草薙の剣」が祭られていることで有名で、主神は「熱田大神」とされますが、これは要するに「天照大神」ということになってしまいます。その他、この剣を八股の大蛇を退治して取り出した「すさのう」と、これを以て駿河で「草を薙って」この地を平定した(それゆえ「草薙の剣」と呼ばれることになった)「日本武尊(やまとたけるのみこと)」が祭られているのは当然です。

 

「明治神宮」(東京都)

 「初詣」で有名な神社ですが、ここの祭神は「明治天皇」であって、全く新しい神社です。しかし今日、限定なしに「神宮」というと、ここを意味してしまうほどに有名になってしまいました。

 

「出雲大社」(島根県)

 ここの神は「大国主大神」です。本来は、ここだけが「大社」と呼ばれていたことが『延喜式』に見られます。つまり「神宮」は本来「伊勢神宮」だけで、「大社」は「出雲大社」だけということのようでした。それが拡大されて、後に各地にたくさん「大社」が作られていきました。

 

「春日大社」(奈良県)

 藤原氏の「氏神社」として興隆したものですが、一般に「春日祭り」で有名となっています。祭神は「大国主」に国譲りの談判に行った「たけみかずち」と、『日本書紀』の方で「たけみかずち」と共に談判に言ったとされる「ふつぬしの神」です。共に「戦の神」とされています。

 

「諏訪大社」(長野県)

 大国主の国譲りの話しのところに出てくる「たけみなかた」が祭られています。

 

「伏見稲荷大社」(京都府)

 一般に「お稲荷さん」で親しまれているものですが、それらのお稲荷さんは「伏見稲荷」とは無関係に地方にあった信仰が取り込まれたものと考えられ、全国に数万の社が存在すると言われています。そうなったのも、この稲荷信仰は「食物、穀物の神」とされる一方、屋敷神ともされたりして氏族の守護を司るとされ、また他方でここの使い神である「狐による祟り」が考えられたりして、それ故地方ごとにあった様々の信仰形態が包括されてしまったといわれています。

 一応、その本家とされるのがここで、祭神は「食物、稲の神」とされる「うかのみたま」となります。今日でも「商売の神」として、多くの信仰を得ています。もちろん全国数万の「お稲荷さん」も同様です。

 ちなみに愛知の「豊川稲荷」も有名ですが、こちらは全く別系統で、仏教での「だきにてん」と稲荷が習合したものです。

 

「熊野神社」(和歌山県)

 一般に「熊野神社」と呼んで全国各地で多くの信仰を集めていたものですが、この「熊野信仰」の母体となっている神社は、紀州の「熊野三山」つまり「熊野本宮大社」と「熊野速玉大社」、「熊野那智大社」をさします。

 この他に、島根にも「熊野大社」という非常に由緒ある社などもあって、ややこしいです。祭神は「本宮」が「けつみこ大神」とされますが、この本体は「すさのう」とされています。「速玉」は「速玉大神」ですが、この本体は「いざなぎ大神」とされます。「那智」は「おおあなむち」です。

 

「宇佐八幡宮」(大分県)

 これは「宇佐神宮」が本名のようですが、一般に「八幡様」と呼ばれて親しまれているものです。祭神は「応神天皇」ですが、一般に「源氏の氏神」として有名で「八幡太郎義家」などと名前にまで使われていました。源氏の氏神とされていることに了解されるように、ここは「戦の神」とされています。

 

「太宰府天満宮」(福岡県)

 俗称「天神様」ですが、ここには「菅原道真」が祭られています。この菅原道真が九州の太宰府に流されて憤死し、その祟りで京の都に「雷」が落ちて火事になるなどの災害が生じ、これは「道真の怨念による祟り」であるとされました。そのため道真を「神として祭って」祟りを起こさないようにと「鎮めた」ものです。「雷」だったので「天神」と呼ばれたわけです。後に、この道真は書の達人であったところから「学問の神」とされていったのでした。

 この天神様のように、歴史上有名な人物が神格化されて祭られている場合も多々あります。日光の東照宮には徳川家康が祭られています。

 

 こうした神の中で、庶民に人気となって祭られているものに「平将門」がおります。とくに「神田神社」一般には「神田明神」と言われて、銭形平次でも有名になっているものですが、ここの祭神は一宮が「おおあなむち」、二宮が「すくなひこな」、三宮が「平将門」になっています。元来は「おおあなむち」が祭られたもののようでしたが、平将門の祟りがあったと見られた時、荒れ果てていたこの社に「合併して祭る」ということで祭られて以来興隆し、徳川時代には「天下祭り」と呼ばれていました。明治時代に一度、平将門は「別にされ」「すくなひこな」が合祀されましたが、昭和時代になって氏子の強い要求で、再びここに祭られるようになりました。

 

 以上の神社は皆「人気」があって、様々の地域に勧請されて祭られています。そのベスト15を上げておきます。

 

稲荷、八幡、天神、宗像・厳島、諏訪、日吉、熊野、津島、白山、八坂、松尾、鹿島、秋葉、金比羅

東方系民族の移動 ~ 民族移動時代(9)

歴史上の記録

139年、ローマの地理学者プトレマイオスは、クーノイ族(ΧονοιまたはΧουνο)がスニ(Suni)の統治下にあるポントス地方のバスタルン族とロクソラン族の間に住んでいると述べている。

 

彼は2世紀の初めに列挙したが、これらの民族がフン族か否かは不明である。西ローマ帝国が、しばしば「クーノイ」 (Χονοι)または「ウーノイ」(Ουννοι)と書いており、東ローマ帝国では名称の初めにXの喉頭音を一度も用いていないことを考慮すると「クーノイ」 (Χονοι) と「ウーノイ」(Ουννοιの類似は偶然である可能性もある。

 

5世紀のアルメニアの歴史家モヴセス・ホレナツは「アルメニア史」でサルマタイ族の近くに住むフン族について紹介し、194年から214年の間の何れかに起きたフン族によるバルフ攻略について物語り、この街をギリシャ人が「ウーノク」(Hunuk)と呼ぶ理由を説明している。[要出典]

 

確実な記録としては、フン族は4世紀に初めてヨーロッパに現れた。彼らは370年頃に黒海北方に到来した。フン族はヴォルガ川を越えて、アラン族を攻撃して彼らを服従させた。

 

6世紀の歴史家ヨルダネスによると、バランベル(ゴート族によって創作された架空の人物ではないかと疑われている)に率いられたフン族は、グルツンギ(東ゴート族)の集落を襲撃した。グルツンギ王エルマナリクは自殺し、甥の息子のヴィティメール(Vithimiris)が後を継いだ。376年にヴィティメールは、フン族とアラン族との戦いで戦死した。この結果、東ゴート族の大半がフン族に服従した。

 

ヴィティメールの息子のヴィデリック(Viderichus)はまだ幼なかったため、残った東ゴート族の難民軍の指揮権はアラテウスとサフラスクに委ねられた。難民はドニエストル川西方のテルヴィンギ(西ゴート王国)の領域へ逃げ込み、それからローマ帝国領へ入った。(ゴート族のローマ帝国侵入後については「ゴート戦争 (376–382)」も参照)[要出典]

 

逃げ出した東ゴート族の一部に続いて、フン族はアタナリックの西ゴート族の領土に入った。アタナリックはドニエストル川を越えて遠征軍を派遣したが、フン族はこの小部隊を避けて直接アタナリックを攻めた。ゴート族は、カルパティア山脈へ後退した。ゴート族の難民たちはトラキアへ、そしてローマ駐留軍のいる安全地帯へ向かった。[要出典]

 

395年、フン族は初めて東ローマ帝国へ大規模な攻撃をかけた。フン族はトラキアを攻撃し、アルメニアを蹂躙してカッパドキアを却略した。彼らはシリアの一部に侵入してアンティオキアを脅かし、ユーフラテス属州を通って押し寄せた。皇帝テオドシウス1世は軍隊を西方へ派遣しており、そのためフン族は抵抗を受けることなく暴れ回り、398年に宦官エウトロピウスがローマ人とゴート人の軍隊をかき集めて撃退して、ようやく平和を回復することに成功した。[要出典]

 

一時的に東ローマ帝国から逸れた間、405年のラダガイスス率いる蛮族の集団のイタリア侵攻や406年のヴァンダル族、スエビ族そしてアラン族のガリア侵入に証明されるように、フン族ははるか西方に移動したようである。この時のフン族は一人の統治者元の一つの軍隊ではなかった。多数のフン族が東西ローマ、そしてゴート族の傭兵として雇われていた。ウルディン(個人名が知られる初めてのフン族)は、フン族とアラン族の集団を率いて、イタリアを守るためにラダガイススと戦った。ウルディンはドナウ川周辺の東ローマ領で騒乱を起こしていたゴート族を破り、400年から401年頃にゴート族のガイナスの首を斬った。ガイナスの首は贈物と引き換えに東ローマへ与えられて、コンスタンティノープルで晒された。

 

408年、東ローマはウルディンのフン族から再び圧力を感じ始めた。ウルディンはドナウ川を越えて、モエシア属州のカストラ・マルティス要塞を攻略した。それから、ウルディンはトラキア一帯を略奪した。東ローマはウルディンを買収しようとしたが、彼の要求額が大きすぎて失敗し、代わりに彼の部下たちを買収した。これにより、ウルディンの陣営から多数が脱走し、ローマ軍に大敗を喫して撤退を余儀なくされた。それから程なく、ウルディンは死去している。[要出典]

 

西ゴート王アラリック1世の義弟アタウルフは、409年にジューリア・アルプス山脈南方でフン族の傭兵を雇っていたようである。彼らは、皇帝ホノリウスの最高法官オリンピウスに雇われた別のフン族の小集団と対峙した。409年後半に西ローマ帝国は、アラリックを防ぐためにイタリアとダルマチアに数千のフン族を駐留させ、このためアラリックはローマへ進軍する計画を放棄している。[要出典]

 

410年頃にフン族は、ドナウ川中流域の平原を制圧した。フン族は東ローマ帝国への侵入と略奪を繰り返し、このため東ローマ皇帝テオドシウス2世は430年頃に、フン族へ毎年金350ポンドの貢納金を支払う条約を結んだ。

 

一方で、フン族は西ローマ帝国の将軍アエティウス(少年時代にフン族の人質となった経験を持つ)の傭兵となって、帝国内の内戦やゲルマン諸族との戦争に参加した。433年、フン族は西ローマ皇帝ウァレンティニアヌス3世の母后ガッラ・プラキディアとの内戦状態にあったアエティウスとの取引により、軍事力提供の見返りにパンノニア(とイリュリクムの一部)の支配を西ローマ帝国に認められた。

出典 Wikipedia

海幸彦と山幸彦 ~ 古事記と日本書紀の神々(6)

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このはなさくやひめ

 「ににぎのみこと」が美しい女性「このはなさくやひめ」に会い結婚したいと思い、その父「大山津見」の神に申し込んだところ彼は承知しましたが、その姉の「いわながひめ」までくっつけてきました。ところが、この「いわながひめ」は非常に醜かったので「ににぎのみこと」は彼女を送り返してしまいます。

 

ところが「大山津見」が言うには、自分が二人一緒に送ったのはわけがあったので、この「いわながひめ」は「永久に石のように存続する」という性格を持っていて、一方「このはなさくやひめ」は「花のように栄える」けれど花のように「儚い」という性格を持ち、両方を妻にしていれば「栄えて永久」ということになったのに、「いわながひめ」を送り返した以上は、「寿命が短い」ということになってしまう、というわけでした。

 

ここに天皇の短命なことの理由が述べられているわけですが、実際この時代、天皇家は短命であったことが、こうした話しを作らせているのでしょう。一方「このはなさくやひめ」はすぐ妊娠してしまいまして、そのため「ににぎのみこと」は別に男がいたのではないかと疑ってしまいます。そこで彼女は「天の神の子供なら無事に生まれるでしょう」と言って「産屋」に入り、それに火をつけてしまいます。そして彼女は「ほでり」「ほすせり」「ほおり、またの名をひこほほでみ」という三人の子供を生んできます。彼女の運命は不明です。

 

「海彦と山彦」

ここから、話しはこの子供のうち「ほでり」と「ほおり」の話しになっていきます。すなわち、「ほでり」は「海幸彦」と呼ばれ、「ほおり」は「山幸彦」と呼ばれることになりました。この「山幸彦」たる「ほおり」は、兄である「ほでり」に向かって、互いの道具を取り替えてみないか、と持ちかけます。「ほでり」は三度も断りますが、あまりにしつこいのでとうとう承知します。こうして「山幸彦」が海にいくわけですが、うまくいかず大事な「釣り針」までなくしてしまいます。

 

 そこに「ほでり」が、やはり獲物は自分の道具でしかとれない、と言って道具を元に戻そうとしてくるわけですが、「ほおり」は「釣り針」を返せません。困って自分の刀で釣り針をつくって返そうとし、五百、千とつくるのですが、「ほでり」はやはり元のものでなければ、といってきます。困った「ほおり」が海辺で泣いておりますと「しおつちの神」が出てきて事情を聴き、助けてあげようということになり、まるで「浦島太郎」の話しの原型のような話しになって、竜宮城のような「海神の宮」に行き歓待され、「とよたまひめ」と結婚して三年経ちます。しかし、かつての事情を思いだしため息をついていると、海神が事情を聴いて、魚を集めて「はり」を探しだしてそれを持たせ、「ほでり」をやっつける方法を授けて送りだします。

 

 かくして「ほおり」は「ほでり」をやっつけて支配者となり「ほでり」は「従者」となったがその一族が「隼人」となった、といってきます。このあたり朝廷がどんな部族であったのかをよく物語っており、「海の民」に対する「山の民」の優位が語られています。つまり「山幸彦」が海へと入りそこで歓待され、そこから「海幸彦」を支配下においた、という物語になっているわけです。

 

「とよたまひめ」

 ここから話しは「とよたまひめ」の妊娠となり、彼女は「もとの姿」で子供を産まなくてはならないが「決して覗き見しないように」と言い置いて「産屋」に入っていきます。しかし、そう言われるとのぞきたくなるのが凡夫の常で「ほおり」は覗いてしまいますが、そこに見たのは「鰐がのたうちまわっている姿」であったとなります。

 

 こうして「とよたまひめ」は恥をかかされたことで、海へと戻っていってしまいます。こうした、禁止されればされるほどそれを侵犯したくなるという「タブーの侵犯」の説話は日本ばかりでなく、世界中にある説話のパターンです。

 

一方、子供は無事生まれていまして、その子は「うがやふきあえず」の尊といいました。一方、「とよたまひめ」は、その妹の「たまよりひめ」を送り、その子の養育にあたらせました。こうして成長した「うがやふきおえず」の尊は、そのまま乳母であった「たまよりひめ」と結婚してしまいい四人の子供をもちますが、その中に「かむやまといわれひこ」の尊がおりました。この尊が「神武天皇」となるわけで、『古事記』は、ここから「中の巻き」となっていくのでした。

 

『古事記』の「神代の物語」はこんな具合になっているのですが、さて、ここでも「神々」と言われていたので、ついうっかり「神」についての物語であったのだと思ってしまいますが、これを世界の神話の代表ともいえるギリシャの神々と比較してみますと、とてもではありませんが「神」などとはお世辞にもいえないということに気づかれるでしよう。

 

 ギリシャの神らしい超人的能力の発揮があったのは、「いざなぎ、いざなみの国造り」はともかくとして、他にはたった一人「すさのう」くらいのもので、それも「八股の大蛇」の話しがあったから何とかなったので、それがなかったら彼も危ういことになってしまいます。

 

 つまり、ギリシャの神々は、第一に「不死」であって、これはプラトンが言っているように「神であることの証明」みたいなものですが、『古事記』の神は不死ではありません。

第二にギリシャの神々は「雷を落としたり、地震を起こしたり、風を吹かせたり自然現象を操作」してしまいますが 、そんな力も持ち合わせていません。また強大な力を持ち、怪物を倒したり、人間に様々な能力、気力を与えたり奪ったりもしてきますが、『古事記』の神は、そんなこともしてきません。

 

 いや、一番大事なことなのですが、ここには「人間」が現れてはこないのです。つまり『古事記』というのは、もともと「天皇」とその周りの貴族の位置づけ、職能を描くのが目的であり、初めから「人間のこと」を描いていたのです。「人間に対する神」を描いていたのではないのです。「神」という呼び名に騙されていただけなのです。「国造り」が終わった後、つまり「天照大神」の以降は、むしろ人間的に「何々様」と読み替えて読んだ方が分かり易いのです。

 

 こんな具合に「人間の」物語だったのですから「他に」人間が出てくるわけもなかったのでした。天とか海とかの「場所」も単なる「地域の別」と読めばよかったのです。もちろん、ここに出てきたいわゆる「神々」が、後に神社の主神となっているということはその通りなのですが、その神と言われるものの実体は、以上のようなものなのでした。

盤古 ~ チャイナ神話(2)

簠簋内伝などでの盤古(盤牛王)

日本における盤古についての記述には、陰陽道の文献のひとつである『簠簋内伝』(ほきないでん)、あるいは雑説や説話を多く収録している文献『榻鴫暁筆』に見られる盤牛王(盤牛大王とも。『榻鴫暁筆』では盤古王)の話が確認出来る。また、能楽の文献である『八帖花伝書』などにも、土用の間日に関する記述の起原として類似傾向の説話が書かれている。素戔嗚尊(すさのおのみこと)と習合されていたり、仏典など各種の説話と混成されたりしており、中国神話を直接とったものではない特殊なものであるといえる。その内容は、以下のようなものである。

 

天は初めには、その形が無く地もまた、その姿形を持ってはいなかった。その様子は鶏卵のように丸くひとかたまりであった(宇宙卵生説)。この天地の様態のことを「最初の伽羅卵」という。この時、計り知れない大きさの蒼々たる天が開き、広々とした地が闢いた。そして、これら天地に生まれた万物を博載することの限りなさは想像すらできない。盤牛王は、その世界の原初の人であった。

 

その身の丈は十六万八千由旬であり、その円い顔を天となし、方形の足を地となした。反り立つ胸を猛火とし、蕩蕩たる腹を四海となした。頭は阿迦尼吒天に達し、足は金輪際の底獄に、左手は東弗婆提国に、右手は西瞿陀尼国にまで届いた。顔は南閻浮提国を覆い、尻は北鬱単越国を支えた。

 

この世の万物で、盤牛王から生じなかったものは一切ない。彼の左目は太陽となり、右目は月となった。その瞼を開けると世界は染明け、閉じると黄昏となった。彼が息を吐くと世界は暑くなり、吸うと寒くなった。吹き出す息は風雲となり、吐き出す声は雷霆となった。彼が天に坐すときは「大梵天王」といい、地に坐すときは「堅牢地神」と呼ぶ。さらに迹不生であるをもって「盤牛王」、本不生であるをもって「大日如来」と称するという。

 

彼の本体は龍であり、彼はその龍形を広大無辺の地に潜ませている。四時の風に吹かれ、その龍形は千差万別に変化する。左に現れると青龍の川となって流れ、右に現れると白虎の園を広しめ、前に現れると満々たる水を朱雀の池に湛え、後ろに現れると玄武の山々を築いて聳え立つという(四神相応)。また、彼は東西南北と中央に宮を構え、八方に八つの閣を開いた。そして五宮の采女を等しく愛し、五帝竜王の子をもうけたとされる。

 

五帝龍王とその子ら

盤古の第一の妻を伊采女といい、彼女との子供が青帝青龍王である。盤古は彼に一年の内、72日間を春として支配させた。さらに青帝青龍王に金貴女を娶らせ、10人の子を産ませた。これが十干である。

 

盤古の第二の妻を陽専女といい、彼女との子供が赤帝赤龍王である。盤古は彼に一年の内、72日間を夏として支配させた。さらに赤帝赤龍王に昇炎女を娶らせ、12人の子を産ませた。これが十二支である。

 

盤古の第三の妻を福采女といい、彼女との子供が白帝白龍王である。盤古は彼に一年の内、72日間を秋として支配させた。さらに白帝白龍王に色姓女を娶らせ、12人の子を産ませた。これが十二直である。

 

盤古の第四の妻を癸采女といい、彼女との子供が黒帝黒龍王である。盤古は彼に一年の内、72日間を冬として支配させた。さらに黒帝黒龍王に上吉女を娶らせ、9人の子を産ませた。これが九相図である。

 

盤古の第五の妻を金吉女といい、彼女との子供が黄帝黄龍王(他の写本では天門玉女という女神となっているものもある)である。盤古は彼(または彼女)に一年の内、72日間を土用として支配させた。さらに堅牢大神に黄帝黄龍王を娶らせ、48人の子を産ませた。これが七箇の善日以下の(『簠簋内伝』に記載されている)暦注・節日である。

 

もともと、黄帝黄龍王(天門玉女)48王子は難産の末に生まれたために、自分らが支配する季節、領地を持てなかった。そのため48王子は男子に変じたり、女子に変じたりと、定まるところがなかった。そこで、48王子は自分らの支配領を求め先述の四龍王に謀反を企てた。17日間続いたこの戦により、ガンジス河は血に染まったという。

 

そこで諸神らは協議の末、四季の中から18日ずつを48王子の父()である黄帝黄龍王(天門玉女)に与えることに決めたという。

 

牛頭天王との関連性

『簠簋内伝』の中で「盤古」を「盤牛」としているのは牛頭天王(ごずてんのう)信仰について言及するために「牛」の字を用いたのではないかと考察されている。京都府の妙法院に康応元年(1389年)の奥書をもつ和漢の神々の姿を描いた絵巻物があり、天神七代・地神五代に次いで、盤古王および五帝竜王、そして牛頭天王の絵が上記のような『簠簋内伝』の内容に極似した説明文とともに書かれている(題簽を欠いており、原題は不詳。内容から「神像図巻」と呼ばれている)

 

妙法院神像絵巻や『榻鴫暁筆』は、この盤古王(盤牛王)を『神在経』という文献に載っている話として記している。『神在経』という文献は確認されていないが、これを見るに原典は不詳ながら、中世の頃から盤古と牛頭天王を結びつける考えがあったと推測される。『簠簋内伝』とは、五帝龍王を生んだ妻たちの名や、生んだ子たちの数などに差異があるが、妙法院神像絵巻と『榻鴫暁筆』では一致が見られ、『神在経』あるいは『神在経』を引用した何かを資料として書かれたものであることは言える。

 

五郎王子ら

『八帖花伝書』などに見られる盤古王の子供たち。四人の兄たちが四季をそれぞれ支配しているが、末の五郎王子には領分が設けられなかった。そのため母が剣を与えたが、その剣をめぐって兄弟たちが激しく争ったとされる。物語の舞台は天竺とされている。

 

太郎王子 春を支配する。

二郎王子 夏を支配する。

三郎王子 秋を支配する。

四郎王子 冬を支配する。

五郎王子 兄弟間の戦の結果、四季の土用と滅日・没日・大敗日、さして閏の期間を支配することとなる。

 

これ以外に、竈(かまど)の神をまつる『土公神祭文』でも、盤古大王の子供たちが争い、五郎王子が竈の神となったという展開が見られる。

出典 Wikipedia

フン族 ~ 民族移動時代(8)

東方系民族の移動

ゲルマニア東半分(現在のポーランド・チェコ等の地域)や、サルマティア(現在のベラルーシ南部からウクライナ)には、スキタイやサルマタイの影響を受けたスラヴ人の文化圏が形成されていた。彼らはPrzeworsk文化やZarubintsy文化などの主体をなし、周辺のケルトやゲルマンの諸族と相互に影響を与え合っていた。彼らも、またフン族に押される形で東ヨーロッパ全土に進出し、スラブ系がこの地域の支配していくことになる。

 

近年では、古代のケルト系民族の研究に影響されてか、プロト・スラブ人についての研究も深まりつつある。その最たる例はヴァンダル人で、彼らは元々はPrzeworskに属する部族である事が判明しており、何らかの理由(恐らくは近隣のゴート族との交流)でゲルマン系言語を用いるようになったと考えられているが、しかし実際のところヴァンダル語についてはほとんど資料がなく、彼らの日常言語が本当にゲルマン系言語であったかどうかでさえも定かではない。

 

語彙の上でゴート語の影響を受けていることははっきりしているが、スラヴ語も語彙においてゴート語の影響を強く受けた言語であり、ゴート語の影響をもってヴァンダル語がゲルマン語であったとは言えない。ヴァンダル人は南欧や北アフリカに侵入していくが、このころまでには彼らがゲルマン語を話していたことがわかっている。(彼らが古い時代からのリンガ・フランカとしてゲルマン系の言葉、新しい時代のリンガ・フランカとしてラテン語、伝統的な民衆語としてスラヴ祖語を使用していたならば、この謎は解決され、当地の考古文化の変遷の仕方がその有力な傍証となっているが、ヴァンダル人がプロト・スラヴ人であることを示す決定的証拠は見つかっていない)。

 

また同地には、サルマタイと呼ばれるイラン系の諸族も定住していた他、古代末期にはフン族やアヴァール族などの騎馬民族が侵入し、スラヴ系・ゲルマン系の諸民族を次々と征服していった。彼らの出自は明らかではないものの、推測される使用言語からテュルク系に属するという意見や、匈奴との関係を論じる意見が一般的である。アヴァール族はチュルク系とされるが、その共通言語としてスラヴ祖語が広く使用されていたという説もある。

 

フン族

フン族(Hunは、4世紀から6世紀にかけて中央アジア、コーカサス、東ヨーロッパに住んでいた遊牧民である。ヨーロッパの伝承によれば、彼らはヴォルガ川の東に住んでおり、当時スキタイの一部だった地域で初めて報告された。フン族の到来は、イランの人々、アラン人の西方への移住に関連している。

 

370年までにフン族はヴォルガ川に到着し、430年までにヨーロッパに広大で短命の支配権を確立し、ローマ国境の外に住むゴート族や他の多くのゲルマン民族を征服し、他の多くの民族のローマ領土への逃亡を引き起こした。フン族は、特に彼らのアッティラ王の下で、東ローマ帝国に頻繁に破壊的な襲撃を行った。

 

451年、フン族は西ローマ帝国のガリア州に侵攻し、カタラウヌムの戦いでローマ人とゴート族の連合軍と戦い、452年にイタリア半島に侵攻した。453年のアッティラの死後、フン族はローマにとって大きな脅威となることは無くなり、ネダオの戦い (454? )で帝国の領土の大部分を失った。フン族の子孫、または同様の名前を持つ後継者が、約46世紀に東ヨーロッパと中央アジアの一部を占領したとする記録が、南、東、および西の近隣の住民によってなされている。フン系の名前の変種は、8世紀初頭までコーカサスで記録されている。

 

18世紀、フランスの学者であるジョセフ・ド・ギーニュは、フン族と、紀元前3世紀に中国の北の隣国だった匈奴族との繋がりを最初に指摘した。ギーニュの時代以来、そのような関係を調査するために、かなりの学術的努力が注がれてきた。この問題には、依然として議論の余地がある。イランのフン族やインドのフナ族として知られている他の民族との関係も論争になっている。

 

フン族の文化についてはほとんど知られておらず、フン族と結びついた考古学的な遺物はほとんどない。彼らは青銅の大釜を使用し、頭蓋変形を行ったと信じられている。アッティラの時代のフン族の宗教についての記述はないが、占いなどの慣行が明らかになっており、シャーマンも存在し得たとされている。フン族は独自の言語を持っていることも知られているが、それを証明するのは3つの単語と個人名だけである。経済的には、彼らは遊牧を実践したことが知られている。

 

ローマの世界との接触が拡大するにつれて、彼らの経済は、貢物、襲撃、貿易を通じてますますローマと結びついた。彼らはヨーロッパに入った時に統一政府を持っていなかったらしく、むしろローマ人との戦争の過程で統一部族としてのリーダーシップを発展させたとされている。フン族は、様々な言語を話す様々な人々を統治し、その一部は独自の支配者を維持した。彼らの主な軍事技術は騎射であった。

 

フン族は、西ローマ帝国の崩壊の大きな要因である大移動を刺激した可能性が指摘されている。フン族に関する記憶は、フン族が敵対者の役割を演じる様々なキリスト教の聖人の生活や、フン族がゲルマンの主要人物の様々な敵対者または同盟者であったゲルマン英雄伝説でも生き続けた。ハンガリーでは、中世の年代記に基づいて発生した伝説で、ハンガリー人、特にセーケイ人はフン人の子孫とされている。しかし、主流の学術界では、ハンガリー人とフン族の密接な関係を否定している。近代文明は、一般にフン族を極端な残酷さと野蛮さに結びつけている。

出典 Wikipedia

国譲り ~ 古事記と日本書紀の神々(5)

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すくなひこなの神

 その後、話は「八千矛の神(大国主の別名)の歌物語」という、文学的には意味がありますが、全体的物語には大して意味のない歌が挿入され、さらに出雲系の氏族の家系の列挙となり、「すくなひこな」の神の話となります。これは、どうやら「蔓芋の種」の擬人化と見られる点と、「渡来の神」として「現れ、また去っていく」という「渡来神」の姿が描かれていることで重要です。

 

 つまり、彼は小さな「蔓芋」のさやの船に乗って現れましたが正体がしられず、そこで「くえびこ」という「天下のことを知る山田の案山子」に尋ねたところ「かみむすびの神の子」で、名前は「すくなひこな」であるということでした。そこで「かみむすび」の神にただしたところ、その通りであり、大国主と二人してこの国を造りなさい、という答えがあったという。そして後、この神は海のかなたへと渡っていってしまった、となります。

 

 この「海の彼方からくる神」は「助っ人として来て、やがて帰っていく」という観念は日本人に独特の外国観を反映しています。こうして、また「海からやってきた」「みもろの山の神」、つまり大和の三輪山の話と続き、さらに「大年の神、つまり稲の実りの神の系譜」が挙げられて、再び話しは「天つ国」に戻り、「大国主の国」との関係が語られてくることになります。

 

天つ国からの使者

 「天つ国」と「大国主の国」との確執の始まりは、天つ国の「天照大神」が「あの地はいい国だから、私の子が治める地にしよう」などと勝手なことを言い出したことにあります。「あの地」というのは「芦原の中つ国」であり、もちろん大国主の国のことです。

 

端的に言ってしまえば、隣の国がこちらを見て「あの国は良さそうだから、自分の支配地にしよう」と言ったわけで、完全な「侵略」の意図を明らかにしたというわけです。事実的・歴史的には実際そうであり、大和朝廷が各地を侵略していった歴史をうかがわせます。実際、これ以降の物語は、天つ国、つまり朝廷の出自の国が各地を侵略していく話となっていきます。

 

 先ず、天照大神は「おしほみみ」を遣わし、様子を探らせます。その報告によると「あの国はひどく騒がしく、荒ぶる神々で一杯だ」ということでした。これは要するに、強敵になりそうだということでしょう。そこで天照大神は、他の神々と相談し「先遣隊」を送り込みます。これは恐らくは恭順を迫りにいったということでしようが失敗で、どうも逆に説得されてしまったようで、三年経っても返事をよこさなかった、とされています。

 

そこで再び「あめのわかひこ」を送りますが、彼も大国主の娘と結婚してしまい、八年経っても返事をよこさなかった、となります。そこでまた、その様子を探らせようと「雉の鳴き女」というのを差し向けます。その「雉」は「あめのわかひこ」のところに来まして天の神の言葉を伝えますが、「天の事どもを探る女」という意味の者が、この雉は天のスパイであることを見抜いたのでしょう、その鳴き声がよくないから殺すのがよいと進言し、そこで「あめのわかひこ」は、天より携えた弓矢でこの雉を射殺してしまいます。ところがこの矢が勢い余って、天まで飛んで「天照大神」と「たかみむすび」の神のところまで飛んでいってしまい、それが「あめのわかひこ」のものであり、しかも血がついていることが判明してしまいます。

 

こうして「たかみむすび」は、もし「あめのわかひこ」が命令通り征服戦争を遂行しているならよし、そうでなく反逆の心で(雉を射殺したのなら)「あめのわかひこ」に当たれといって投げ返すと、それは寝ていた「あめのわかひこ」に当たり死んでしまいました。多分、裏切り者ということで刺客が放たれ、暗殺されたということでしょう。

 

国譲り

 「あめのわかひこ」も失敗に終わりましたので、天照大神は「次はどの神を送ろうか」と言いますと、その場にあった神々が「剣」をイメージする「いつのおはばり」か、その子供の「たけみかずち」つまり雷の神になりますが、そのどちらかが良いだろう、と言ってきます。たしかに、強力な軍をイメージさせます。そして結局、「たけみかずち」が行くこととなり、彼は出雲につくと剣を抜き放ち、それを浜に刺し立て、その前にどっかと座って「大国主」に「天照大神がのたもうには、お前が治める芦原の中つ国は自分の子供が治める国とする、ということであるがお前の心はどうか」と言ってきます。完全に脅迫です。

 

 大和朝廷が出雲を侵略したという事実的歴史においては、「大国主」にあたる出雲の当主は頑強に抵抗したでしょうが、この物語では大国主は優柔不断にされています。自分では判断つかない、自分の子供が返事するだろう、などと言ってきます。そこで一人目の子供の「事代主」を呼びつけ返事をさせると「この国は天照大神に献上するべきだろう」と言って、隠れてしまいます。どうも「たけみかずち」の軍を見て恐れたようです。

 

 しかし、もう一人の子供「建御名方(たけみなかた)」は大きな石を片手に持ち上げ、戦いを挑んでいきます。しかし、その結果「建御名方」は負けて投げつけられ逃げ出したとなり、現在の長野県の諏訪湖まで逃げたが、そこで追いつかれ恭順を誓ったとなっていきます。

 

 こうして再び「大国主」のところに戻って、その心が問われるわけで、ここで大国主は自分の社が「天照大神の社なみに」確定されているなら、という条件で恭順してくることになりました。これは無条件降伏とはかなり異なる在り方で、支配実権は譲るが名は譲らないといったところで、一族も名誉も確保されているということになります。

 

 こんなわけで、出雲大社は大和朝廷の社である伊勢神宮に次ぐ大社となり、また頑張って戦った「建御名方」の諏訪大社も、由緒と格式のある代表的神社となっているのでしょう。

 

天孫降臨

 一方、こうして出雲が平定されたとの報告を得て、天照大神と「たかみむすび」の神は「おしほみみ」を、芦原の中つ国に派遣しようとしますが、「おしほみみ」は自分が行こうと準備している間に子供が生まれたので、その子を行かせたいと思う、と言ってきます。その子の名前が「ににぎの尊」というわけでした。

 

こうして「ににぎの尊」が天より降りることととなり、降りて行こうとするとその道の真ん中に天と地を照らしている神がいます。そこで「天のうずめ」が命じられてその正体を確かめに行きますと、その神は、自分は国つ神「さるたひこ」というもので、「天よりの神」を迎えようと、ここにこうしていると答えてきました。こうして「ににぎの尊」は天より降りてきたわけで、彼は天照大神の孫に当たるわけで、それで「天孫降臨」となるわけでした。

 

 ここから先は、完全に大和朝廷の組織作りの話しになっていきます。職業集団や氏族の成立の起源の話しというわけですので詳しくは割愛し、一般に知られている話しだけを紹介します。

スウェーデン ~ 民族移動時代(7)

スウェーデンのヴァイキングは、しばしばスヴェア人と呼ばれる。北方ドイツやフィンランド、東スラヴ地域へも進出した。東スラヴの地へ初期の進出は、8世紀後半から9世紀半ばにかけてあったとされる、都市国家群のルーシ・カガン国の建国であった(国家群の民族構成には、ノース人の他、バルト人、スラヴ人、フィン人、テュルク系民族も含まれている)。彼らはフランク王国の「サンベルタン年代記」などでノース人、あるいはスウェーデン人であったと伝えられている。

 

このルーシ・カガン国が最期、発展してキエフ・ルーシとなったのか、あるいは単にキエフ・ルーシに吸収されたのかは不明である。また、リューリクがノヴゴロド公国で新しい公朝を立てたといわれているが、この論争はゲルマニスト・スラヴィスト間の対立として知られ、とくに『ルーシ年代記』にみられる「ルーシ」の同定、さらに「ルーシ」が国家形成で果たした役割をどう評価するかが論点となっている。ただし、現代では反ノルマン説は根拠に乏しいとして否定されている(反ノルマン説を提起するのは、多数の東欧の歴史家である。この問題は、史実的な問題というよりも政治的な問題である)

 

また、ノルマン人がルーシ国家の創設に深く関わっていたのは事実である。さらに、リガ湾やフィンランド湾に流れ込む河川を遡り、9世紀にはバルト海と黒海を結ぶ陸上ルートを支配するようになった。彼らは東ローマ帝国の都コンスタンティノープルにまで、姿を現している(839年頃)。このルートは直接イスラム世界へとつながるものであり、フランク王国経由ルートに代わり、このバルト海ルートが一時スカンディナヴィアと東方世界とをつないでいた。

 

伝説的な要素も含む『原初年代記』によれば、882年にはドニエプル川を南下し、リューリクの息子イーゴリが、オレグを後見人にキエフ大公国を建国。彼らはヴァリャーグと呼ばれる。またサガ(スノッリ・ストゥルルソン「ヘイムスクリングラ」)やリンベルトによる聖人伝「聖アンスガールの生涯」によると、9世紀のスウェーデンのエリク王(族王)の時代には、エストニアとクールラント(今のラトヴィアの一部)を支配していたが、それを失ったらしい。なお、スウェーデン・ヴァイキングには、フィン人も参加していたとフィンランドでは主張されているが、史実的な裏付けはない。

 

フリースラント

この時期においてフリースラントといえば、現在のブルッヘからユトランド半島西岸までの領域を指す。この領域は、フリースラント・フランク戦争の影響で徐々にフランク人の勢力下に入りつつあったが、フランク人らによるキリスト教化政策や文化的同化政策はうまく進んでいなかった。それ故に、しばしばフリースラントの住民ら自身がヴァイキングとして周辺を荒らしまわることもあった。

 

それと同時期に、フリースラントの諸都市が北欧のヴァイキングに襲撃され始める。ヴァイキングらは、フリースラント北部のen: Wieringen地域に拠点を構えることが多かった。またヴァイキングの首長がフリジア公などと名乗り、フリースラントを実質的に支配下に置くこともあった。

 

北米大陸

ヴァイキング後裔国家

ルーシ原初年代記によると、リューリクとその息子たちは東スラヴの各部族に要請されて一帯の統率者となり、860年から880年にかけてノヴゴロド公国やキエフ大公国に新しい公朝を立てた。ただし、これは伝承的色彩の濃い史料に基づいており、リューリクが果たして本当に実在したヴァイキングだったのかを含めて、15世紀まで不確実性が残るが、いずれにせよ、この一帯に定住したヴァイキングは次第にスラヴ人に同化して消滅していった。

 

ルーシでは、スラヴ人君主ながら親スカンディナヴィア政策を取ったキエフ大公ウラジーミル1世までがヴァリャーグ人時代であったと言える(ノルウェー・ヴァイキングであるオーラヴ・トリグヴァソンや、後にノルマン・コンクエストに関わるハーラル3世が親衛隊としてキエフ大公国に仕えた他、ルーシにおける半伝説的存在であったリューリクを高祖とするリューリク朝が東スラヴ人の国家ではあったものの、1598年まで存在していたなどの影響が残った)

 

リューリクは、862年にラドガを自分の都と定めたが、ヴァイキングたちにとってもラドガは東方の拠点の一つでもあり、ラドガの周囲にはリューリク及びその後継者たちのものとされる陵墓も現存する。990年代にノルウェー・ヴァイキングのエイリーク・ハーコナルソンがラドガ湖を襲い、ラドガの街に火をかけたことがサガに記されているほか、11世紀にスウェーデン王女とノヴゴロド公ヤロスラフ1世が結婚した時の条件として、王女のいとこのスウェーデン貴族にラドガの支配を任じたことが年代記とサガに記されている。

 

またラドガの発掘品からも、ラドガが次第にヴァリャーグの街となっていったことが確認でき、少なくとも二人のスウェーデン王(ステンキルとインゲ1世)が青少年期をラドガで過ごしている。しかし12世紀以降、ラドガはノヴゴロド公国(ノヴゴロド共和国)の所有する、交易のための死活的に重要な前哨地となり、さらに正教会の教会と要塞が建てられ、北欧との関係は薄れていった。

 

ノルウェー人の築いた植民地は、アイスランドの植民の成功を除き、全て13世紀から16世紀までに、北欧本国からの連絡が途絶えてしまったとされる。しかし、その後も僅かながらの「白いエスキモー」、「金髪のエスキモー」に遭遇したと言う、船乗りたちの話が北欧に伝えられたのである。しかしヴァイキングの活動は、急速に失われつつあった。

 

こうして初期のヴァイキングの自由、そして独立した精神は失われてしまったのである。海賊、交易民的な性格を失っていったヴァイキングは、次第にノルマン人と呼ばれる頻度が多くなっていく。

 

イングランド、ノルマンディー、シチリア、あるいは東方に向かったヴァイキング・ノルマン人たちは、その地に根付き、王となり、貴族となった。やがてノルマン人としてのアイディンティティを喪失し、現地に同化していった。

 

一方でヴァイキングの故地たる北欧においても、徐々に強固な国家形成がなされていき、その住民たちも、デーン人、スヴェア人、ノース人、アイスランド人へと、それぞれの国家の国民、民族として分離していく。

 

こうして、13世紀までには、殆どのヴァイキング・ノルマン人は消滅していく事になる。

 

考古学者による研究では、ヴァイキングの内、ノルウェー人の祖先は主にアイルランド、アイスランド、グリーンランドへ、スウェーデン人の祖先はバルト諸国へ、デンマーク人の祖先はスコットランド、イングランドへ移住したとされる。

出典 Wikipedia

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